東京高等裁判所 昭和31年(ネ)1459号 判決
一、そこで控訴人は、右親権者指定の審判の効力は認知のときにさかのぼるものであるから右養子縁組について中壽百合子が被控訴人悦男の代諾者となつたのは違法である、と主張するのであるが、父が認知した子に対する親権は、親権者を父と定めたときにかぎり父がこれを行うものであることは民法第八百十九条の規定によつて明らかであり、認知によつて当然に父が親権を行いうるものではないのであるから、特に法律が遡及効を認める旨を規定しておらないかぎりこれに遡及効を認めることはできないものといわざるをえない、従つて右親権者指定の効力はその審判確定のときから将来に向つて生ずるものと解さなければならない。
二、被控訴人悦男の母百合子は昭和二十九年一、二月頃から被控訴人寛と同棲するようになつたこと、右百合子は同年三月五日控訴人に対し内縁関係解消の家事調停を前橋家庭裁判所に申し立て、控訴人は同月二十三日右百合子に対し被控訴人悦男の親権者指定の家事調停を同裁判所に申し立て、右両事件は同年五月六日調停不成立をもつて終了し、爾後親権者指定の審判事件として進行している間に、同年九月二日右百合子は被控訴人寛と法律上の婚姻届出をなし、その翌日本件養子縁組届出をなしたこと、右縁組届出当時は被控訴人寛と右百合子とは本籍地である寛の実父中壽平三郎(農業を営み田畑約五反歩を耕作する)方に同居してその同棲生活は未だ六、七ケ月に過ぎなかつたこと、右縁組の当時被控訴人寛は二十六歳、百合子は二十七歳であつて、いずれもその当時は健康体であつたので、将来両名の間に実子をもうけることのできる期待は十分にあつたこと、当時被控訴人寛は尋常高等小学校を卒業し当時は靴製造の職人であつてその収入はわずかに一ケ月金八千円ないし一万二千円程度であつたこと、また実父平三郎の生活も経済的に余裕あるものではなかつたこと、他方控訴人は肩書住所において織物加工業を盛大に営み妻きみとの間に三女をもつのみであつて、男児なく、従つて将来の後継者として悦男を手許において養育し妻きみも悦男に愛情をそそいでいたことを認めることができる。以上認定の諸事実を勘案するときは、被控訴人寛が、その当時養子をしなければならないと思われる事情はなんら存在しないのみならず、代諾者百合子は、右養子縁組をなすに当つて、その縁組が将来被控訴人悦男のために幸福をもたらすものであるか否か、についてとくと考慮を払つた形跡がほとんど認められない。しかしてこれらの諸点と、本件養子縁組が、時あたかも控訴人との間の親権者指定審判事件の進行中になされた点とを思い合わすときは、本件養子縁組は当事者双方が真に養子縁組をなす意思を以つて届出をしたものではなく、単に右百合子が右審判事件を自己に有利に展開せんがために形式上その届出をなしたにすぎないものであることを推認せざるをえない。以上認定に反する証人中壽百合子、被控訴人中壽の各供述部分は、前掲各証拠に照らし措信し難く、その他右認定を覆えすに足る証拠はない、そうすると本件養子縁組は民法第八百二条第一号により無効であると断ずべきである。
(岡咲 龜山 脇屋)